教科書として使われているバーチャルリアリティ学は非常に多岐に渡るバーチャルリアリティの知見を一冊にまとめた大ボリュームの書籍で、インターフェイスや実装の話だけでなく、生理学的な人間の知覚や記憶の仕組みなどにも言及され、改めて学ぶ価値のある一冊だと言える。
特に私にとって意義深かったのは、人間の五感や神経、脳の仕組みなどに関して学んだ事だった。
現象としては理解していても、何故、どのようにそうなるのか、という事を考えるには人間の仕組みを学ぶ必要がある。それらについて元々ある程度の知識はあったが何故、どのようにという視点での理解には欠けていたと言える。読む、知るという事と学ぶという事の間には大きな隔たりがあるのだと実感させられた。
さて、表題の件は人間の温度感覚に関する話だ。
人間の皮膚表面には無数の機械刺激受容器が点在している。機械受容器は複数種類存在し、それぞれの特性に合わせて刺激を受け取りって電気信号を発し、末梢神経系を通じて中枢神経へと情報を送っている。人間の器官を表現するのに機械刺激、という言葉を使っている事に違和感を覚えるかも知れないが、ここでは化学変化を伴わない刺激の事と理解しておけば概ね問題ない。
この機械受容体がつながっている神経繊維は、髄鞘よ呼ばれる絶縁性の物質で覆われた有髄線維と、それらがない無髄線維の二つに分けられる。また、神経は太いほど伝達速度が速くなるため、感覚受容器ごとに刺激を受けてから脳に伝わるまでの速度に差が出てくる。
バーチャルリアリティ学ではいくつかの代表的な神経系が示され、有髄と無髄に分けられていたのだが、その中で不思議に思ったのが表題にもある温覚と冷覚だった。
温覚は無髄線維、冷覚は有髄線維によって情報が伝達される。つまり、暖かさが伝わるのは遅く、冷たさが伝わるのは早い、と言う事だ。
しかし、これには違和感がある。日常生活において致命的なのは火や蒸気による火傷であり、そちらが優先して伝わるべきではないだろうか。現代においても一瞬で凍傷を負ってしまうような低温環境は稀で、進化の過程を考えればそういったものに触れる機会が出来たのはごく最近であり、無視しても良いような短い時間のはずだ。
が、調べてみたところ、43℃以上の熱に反応する侵害受容器が別に存在し、それは予想通り有髄線維によって信号伝達を行っている事がわかった。だが、ここでもう一つ疑問が発生した。15℃以下で反応する寒冷侵害受容器は無髄線維による信号伝達を行っており、反応が遅いのだ。
整理すると以下のようになる。
高熱:有髄
温覚:無髄
冷覚:有髄
寒冷:無髄
しかし、直感的には以下のようになるのが合理的ではないかと思う。
高熱:有髄
温覚:無髄
冷覚:無髄
寒冷:有髄
人体に有害なものは有髄線維で、無害な範囲内では無髄線維で伝達される方が合理的ではないだろうか?
それなりに調べてみたのだが、答えをなるようなものは発見できなかった。
そこで、この話は特に私の専門分野とは関係がないのだが、一週間ほど考えてみてもやはり気になるので触覚研究者である電気通信大学の梶本裕之先生に質問してみたところ、ご返答をいただく事が出来た。
私の理解の範囲内で書くと、以下のような事になる。
まず、寒冷侵害受容器につながるのが無髄繊維である理由。
周囲の環境に合った進化を遂げるには、長くその環境に晒される必要があるが、人体に危険を及ぼす低温は冷たさよりも寒さであり、一瞬で危険を及ぼすような寒さに遭遇した事はほとんどない。
これは納得出来る話。イヌイットがアラスカへ移住したのでさえ1万年前と言われる。
次に冷覚受容器につながるのが有髄線維である理由。
これは非常に興味深い内容で、東京大学工学系研究科精密工学専攻/精密工学科の山本晃生先生が2004年に発表した論文"Control of Thermal Tactile Display Based on Prediction of Contact Temperature"を梶本先生から教えていただいた。
人間は者に接触した時、皮膚表面の様々な機械受容体からデータを得て触った物体が何かを推定している。例えば接触による皮膚表面の変形などは容易に想像出来る。また、物体表面をなぞった際の震動なども重要な要素となる。このあたりについては梶本先生の触覚ディスプレイに詳しい。さらに上記の論文には、接触した物の素材推定において、触ってから2~3秒の皮膚表面の温度変化が強力な手がかりとなっているという事が示されている。
ここからは推測となるが、人類の進化の過程において、周囲にある多くの物質は体温よりも低温だったはずだ。すなわち、触ってから数秒で皮膚表面の温度の変化はほとんどの場合、温度の低下であり刺激されるのは冷覚となる。よって、冷覚は温覚よりも伝達の早い有髄線維なのではないかという仮説が成り立つ。
もちろん上記のような仮説を証明するのはインタラクション分野の外の話なのだが、今ある人間の機能がどのような課程を経てそうなったのか、と考える事は頭の体操以上に人間の感覚を理解するうえで重要な事だと常々思っている。
我々人間は、進化のうえに文化を積み重ね、複雑に絡み合ったコンテクストの上に生きている。そのため、生来の性質というものを忘れがちだが、そこを探求していくと、思わぬ発見などがあるかも知れない。私の主研究分野である「面白さ」についても同様の事が言える。
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