2013年7月16日火曜日

フォトリアリスティックなPixar短編映画「Blue Umbrella」

週末に「モンスターズ・ユニバーシティ」と「ワイルドスピード EURO MISSION」を見に行って来た。
それらのレビューは他のサイトなどに譲るとして、なかなか衝撃的だったのが、モンスターズ・ユニバーシティの前に上映された表題のPixar短編映画「Blue Umbrella」だ。

この写真はその短編映画の1カットだが、ぱっと見ただけでは実写かCGかわからない。
Youtubeでは動画の一部も公開されている。
昨今のCGのクオリティを考えれば、Pixarが実写と見紛うようなクオリティのCGアニメを作れる事そのものに驚く事はない。しかし、そういったものを作品の表現として実践投入してきたという事実は重要だ。

Pixarが最初に劇場で上映したのは「トイ・ストーリー」で1996年の作品になる。
なんと今から17年も前なのだ。しかし、今「トイ・ストーリー」を見返しても脚本は素晴らしいし、映像としても他のCG映画と違って拙いところが見え足らない。特撮やCGの映画というのは、時代を経て技術が向上していくと、昔の作品を見るのが辛くなっていくが、「トイ・ストーリー」も「バグズ・ライフ」も未だに色あせず、映画として楽しむ事が出来るのだ。

それは、Pixarが高い技術を持っていたからではない。持っている技術に会わせて作る作品を洗濯しているからだ。子供向けのおもちゃは細かいディティールを持っていないし、プラスチックなどの質感は当時の技術でも十分に表現可能だった。
「バグズ・ライフ」に関してもそうだ。本物の昆虫は拡大して見れば細かな毛や複雑な器官などを持っているものの、人間の視点から見るとつるっとしている。「バグズ・ライフ」の主人公達は人間から見た虫としてうまくデフォルメしているわけだ。

かつてはCGでの表現が難しかった水も無理なく表現出来るようになれば「ファインディング・ニモ」で豪華に使われる。「カーズ」ではデフォルメされているものの、しっかりとした質感を持った車や背景世界を描いている。「レミーのおいしいレストラン」ではパリの街が描かれ、多くの人間が登場するようになった。「WALL・E」ではリアリスティックな廃墟の地球を描いている。
これらの映画はあと10年、20年経っても(二次元平面上に投影された映像コンテンツとしては)色あせる事がないだろうと思える。

そうした流れがあったうえでの、「Blue Umbrella」だ。実写と見紛うようなものを表現する、という事には大きな意味がある。これまでのPixar作品は、デフォルメされた世界に観客が飛び込んでいく必要があった。しかし、実写と見紛うような映像は、まさしく我々が暮らしてきた現実世界そのものだ。そこにCGでしか出来ないような表現を加えていく事によって、我々はシームレスに表現の世界に入り込む事が出来る。もちろん、そういった表現が全てにはならないし、VFXを使った映画というのはもともとそうした性質を持っていた。

しかし、Pixarがフォトリアリスティックな映像表現を手に入れ、それを使ってきたという事はやはり特筆に値する。彼らは、また新しい武器を手に入れたわけなのだから。


2013年7月1日月曜日

ヒューマン・コンピューター・インタラクションから見るロボットアニメ

初めてガンダムを見たのは幼稚園の頃だった。
その頃から子供心にもあんな操縦桿とペダルだけで人型の複雑な動きをするのは無理だろうと思っていた。

だが、今考えてみるとどうだろう。
例えば現代のゲームはファミコンの時代に比べると非常に複雑に思える。
しかし、ハイエンドコンテンツのゲームでさえ、2つのスティックと正面の4つのボタン、十字キー、コントローラー上面左右にある4つのボタンで制御され、歩く、走る、飛び乗る、ジャンプする、飛び降りる、物を持つ、捨てる、投げる、武器を構える、撃つ、武器で殴る、武器を拾う、武器を交換するなどの動作を行う事が出来る。
また、正確にスティックが入っていなくても、プログラムはプレイヤーの意図をくみ取り、適切な敵を攻撃したり、スイッチを動かしたり、荷物を動かしたりするわけだ。

かつてのゲームは、1ボタン1アクションで、どんな時でもボタンを押せば同じ動きをした。しかし今は、ゲームの中のキャラクターやオブジェクトごとに出来る行動が決められており、シチュエーションによって選択されるものが決まる。それらは混乱しないよう、直感的に予想し、その通りになるよう作られている。
おそらく、モビルスーツなどのロボットにも同様の仕組みが導入されているはずだ。

例えは戦艦のモビルスーツハンガーで起動した状態ではセイフティロックがかかり、武器は使用できず、急激に手足を振るような挙動は取れないだろう。武器を持つ際には、ハンガー側のクレーンやアームとモビルスーツが通信によって同期し、武器がセットされるまで同じ姿勢を保つ。
イレギュラーな場所にある武器を拾う場合、コックピットから映像中の武器を指定する。それが自軍のもので、操縦しているモビルスーツと型番が合うようならそこに拾うというオプションが発生し、パイロットがアクションを実行するためにレバーを動かすと、自分のバランスを保ちつつモビルスーツは武器を拾いにいくわけだ。

戦闘においても同様だ。例えば敵を撃つ場合、敵に照準を正確に合わせて撃つという動作はほぼ簡略化され、ある程度近い位置に照準を持って行けば自動的に合わせてくれるだろう。
そこでトリガーを引けば、彼我の移動ベクトルを考慮して弾やビームが発射される。
当然、撃たれた方もそのまま攻撃を受けたりしない。相手の持っている武器が動き、自分を狙った時点で警告を発し、パイロットに回避を促す。ガンダムの劇中では時々、ピピピピピという音が聞こえるがまさにそれではないだろうか。自動回避という事も技術的には出来るだろうが、おそらくパイロットは自分でタイミングを取る事を選択するだろう。もちろん回避においても、周囲の障害物や敵味方などの状況を見ての補正が発生するはずだ。

特に宇宙の戦闘においては、バーニアを吹かして加速しては逆方向の加速で元の速度の動くような挙動が頻繁に発生するが、そこも細かい事を考えずに動けるよう設定されているだろうと思われる。また、同じモビルスーツ戦でも地上戦と宇宙戦ではあまりに挙動が異なる。これも、同じインターフェイスで直感的に戦闘が行えるよう、操作感覚などはある程度統一されているだろう。

特殊な状況、例えばモビルスーツで人を救出したり、工作を行ったりする場合、それ用に制御プログラムを追加するかも知れない。例えば人を認識し、人を傷つけない程度の早さで手を差し伸べ、掴むなどといった動作をするわけだ。工作などの場合は精密動作も要求される。

ガンダム劇中でも、それまでモビルスーツとは無縁だったような登場人物がパイロットになるケースが度々あるが、おそらくコンピューター制御されているモビルスーツの場合、コックピットの中でそのままチュートリアルを行えるようなプログラムも用意されているのだろうし、上記のように十分にプログラムサポートがされており、動かすだけだったらそんなに長い訓練は入らないのかも知れない。

では、モビルスーツの操縦の上手下手というのはどこで出るのだろうか?
それはおそらく、制御プログラムがどのように動いているかを理解し、うまく活用出来るかどうかというところだろう。その段階を過ぎると、その制御プログラムを自分で調整し、自分の感覚に合った物にしていくようになるはずだ。
そして、アムロやシャアのような才能を持った人間なら、大部分のサポートを切ってしまって、自分自身であらゆる操作と微調整を行うようになるのだろう。それでまともに動かす事が出来るなら射撃も回避もサポートを切り、モビルスーツの典型的な挙動から脱する事で、戦闘が有利になるはずだ。

特殊な兵装の機体や、従来とは違う形のモビルスーツの場合、他の機体で使っていた制御プログラムが流用できず、多くの事をパイロットが自分で行わなければならないため特殊な才能を持った人間が乗る事になるのだと考えるとそれも納得がいく。

こういった技術は、元々全てのデータがデジタルで作られるゲームの場合、入れるのが容易い。
なぜならそれらは最初からアフォーダンスを持ったオブジェクト、もしくはキャラクターとして人間が設定を行っているからだ。
しかし、現実世界でこういったインターフェイスを作ろうとした場合に問題となるのは、カメラ映像を解析し、それらを様々なオブジェクトに分解して認識し、それぞれに合ったアフォーダンスを割り当てなければならない。
モビルスーツの場合、行うべき行動が限られており、主用途も決まっているが、例えば人間と日常空間を共有するヒューマノイドなどを作ろうと思ったら、あらゆる物体を自動認識できなければならないし、学習し、他のマシンと共有する機能なども必要となっていくだろう。

モビルスーツを動かす事は、HCI的には可能なのではないかと思える。
しかし、実現するには他の面でも高度な情報処理や人工知能が必要になっていくだろう。

2013年6月27日木曜日

VRコンテンツを作る際に知っておきたい3D酔いの話

Oculus Riftの発売によって、多くのゲーム開発者が手軽にVRコンテンツ的なものを制作できるようになった。しかし、ゲーム産業では、ごく一部のアーケードなどのコンテンツ開発者を除くと人間の感覚器や情報伝達の仕組みなどについて学ぶ機会はほとんどないので、私の知っている範囲でざっと書いていこうと思う。

ヘッドマウントディスプレイ(以下HMD)を使ったコンテンツは、容易に激しい酔いを発生させるため注意する必要がある。多くの開発者は経験的にどうすると酔うか、酔わないかというノウハウを持っているが、多くは断片的な知識なので、可能ならば人間の感覚の仕組みについて一通り勉強しておいた方が良い。

一通りの知識を学ぶ上で、以下の書籍はお勧め出来る。
バーチャルリアリティ学

さて、3D酔いに関して、著名な論文として以下のものがある。

VE酔い研究および関連分野における研究の現状
http://intron.kz.tsukuba.ac.jp/tvrsj/3.2/nakagawa/vesick1.html

これは1997年の論文だが、現在も大きく変わってはいない。

3D酔いと一口に言っても、様々な症状が発生する。
医学的には動揺病というらしいが、軽いところから並べると、まずあくび、眠気、だるさなどが発生する。これらは普段なかなか3D酔いの症状としては自覚しにくいので、あまりメジャーではないかも知れない。
次に、冷や汗が出る、血の気が失せて顔面蒼白になる、唾液の量が多くなり、頭痛が発生し、気持ちが悪くなって吐き気を覚えるといった具合だ。
これらは体調不良の典型的な症状とも言える。

感覚としては乗り物酔いと非常に近いのだが、乗り物酔いが終始揺れが発生する状態で起こるのに対し、3D酔いは実際に自分が動いていないのにも関わらず起こるというところが面白いのだが、両者に共通しているのは刺激を受け続けた事によって発生したストレスにより、自律神経に不調が起こるという点だ。

人間は主に視覚、前庭感覚によって自分の移動状態を認識する。
視覚は言うまでもないが、前庭感覚というのは三半規管による回転加速度の感知と、耳石による直線加速度の感知によって与えられる。なお、加速などによって筋肉や内臓などが刺激される事もあるが、酔いの発生には寄与していないという事なのでここでは省略している。

大画面やHMDで動きの大きい映像を視聴した場合、視界の大部分をその映像が占める事になる。上記のように人間は視覚と前庭感覚によって自分の移動を感知しているわけだが、この時は視覚が移動情報をもたらしているにも関わらず、前庭感覚は刺激されない。
このギャップがストレスをもたらすと、上記のように動揺病の症状をもたらすと言われる。
実際、私自身は非常に大規模なシミュレーターで体験した事だが、直径数mのドームが数十メートルという広大な空間を移動し、自動車の運転感覚を再現する装置の稼働を止め、ドームの中で映像だけを眺めたところ、激しい身体動揺が発生し、映像が動いた瞬間に身体が多く揺れたうえに、数秒後に、未だかつて襲われたことがないほど激しい酔いが発生した。
決して解像度の高い映像ではなかったが、360度に実寸で映し出される映像は十分に移動感覚を与えるものだったと言う事だ。その後、装置を稼働させて通常の自動車の運転を体験したが、この時はまったく酔いを感じず、リアルな自動車運転感覚があった。
普段の乗り物酔いの事を思うとやや直感に反するが、視界の大部分を占める映像が移動する場合、自分の足下が一緒に動いていれば酔わないが、動かないと酔うのだ。
おそらくディズニーランドのスターツアーズも、ライドを止めて映像だけ見ると恐ろしいほど酔うはずだ。

なかなかやっかいだと思うのは、これらの酔いが必ず発生するわけでもなく、人や状態によっても違うという事だ。

人間の感覚というのは、経験と予測によって大きく変わる。
多くの人が体験した事があるかと思うが、止まっているエスカレーターの上を歩こうとすると、逆方向に加速を受けたような奇妙な感覚が発生する。これはもちろん、動いているエスカレーターでは発生しないし、通常の階段でも発生しない。例えば止まっているエスカレーターだとしても、エスカレーター特有の形をしておらず、エスカレーターだと気づかなければ発生しないし、もちろんエスカレーターに関して一切の知識がない人がいたらもちろんこの感覚は発生しない。
この感覚は、エスカレーターに乗った瞬間に加速が発生するし、乗っている間は動かなくても等速直線運動が発生するという経験とのずれによって起こる。

また、酔いの症状は自律神経の不調によって起こると書いたが、もともと体調が悪い場合、例えば睡眠不足やアルコール摂取状態の場合、容易に発生するようになる。
逆に、感覚のずれがあってもそれをストレスと感じなければ酔いは発生しないわけだ。例えば我々は普段エスカレーターに乗っても奇妙な感覚を覚えないのは、何度もエスカレーターに乗る事でその感覚が発生する事を予め予測し、ストレスをキャンセルしているからだと言える。

さて、上記の話を前提として、3D酔いを防ぐにはどうしたら酔いだろうか?
3D酔いは慣れによって起こらなくなるが、これは人によって違う。激しく3D酔いを起こした経験によって、HMDを被った時点で気持ちが悪くなってしまうという事も十分起こりえる。

自己移動感覚が発生しない、つまり一カ所に立って見回すだけのコンテンツなら、HMDの応答性が十分あれば3D酔いは発生しにくい。また、自分の移動に合わせて映像世界も動く場合も同様だ。
しかし、これらを頑なに守ると作れるコンテンツが限られてしまう。

視点が移動する場合でも、等速運動を続けるコンテンツの場合、酔いは発生しにくい。これは乗り物酔いに関しても同様の話だ。

また、回転加速度、直線加速度が発生する場合でもこれが十分に小さければ酔いは発生しにくい。元々人間は閾を越えないと加速を感知しない。物理空間上では、人間の加速度感知の閾は0.02G~0.03Gと言われている。これは極めて低い数値なので、非常にゆっくりした動きになってしまいそうだ。
ただし、注意が必要なのは前庭感覚が刺激されなくても不自然ではない閾がこの数値というわけではない、という事だ。
実際にVRコンテンツを作成してHMDでそれを体験させる場合、視野角やテクスチャ解像度、FPSなど様々な条件によって感覚は変わってくる。
実際には移動速度、加速度、回転速度の条件や回転角加速度などが出来るだけ小さい状態から初めて徐々に慣れさせていくなどの対策が必要かも知れない。

結局のところ、これだという答えを簡単に示す事は現状できない。
ただし、上記のように3D酔いの仕組みを理解し、考えていく事によって自分の作ったコンテンツで3D酔いが起こる頻度を減らすためのヒントにはなるはずだ。

2013年6月25日火曜日

そのUIは見えているか? ゲームにおける色覚ハンデユーザー対応

Facebookでシェアされていた以下のドキュメントが素晴らしい。

川崎市の公文書作成におけるカラーユニバーサルデザイン・ガイドライン。
http://www.city.kawasaki.jp/shisei/category/50-3-4-0-0-0-0-0-0-0.html

文中にもあるが、色盲、色弱などの色覚ハンデを持つ方は意外と多く、日本人男性で5%、女性で0.02%に及ぶ。この数字には地域差があり、世界的には男性の8%、女性の0.5%が何らかの色覚ハンデを抱えている。
比較的少ない日本での割合を見ても、例えば学校のクラスに一人はいる計算になる。
普段、なかなかハンデがある事をカミングアウトしないかも知れないが、私も友人知人に数人のそういった方がおり、割と身近に困るという話を聞く事がある。

ゲーム開発においても、これらの知識は知っておいた方が良いが、これまで18年ほど現場にいるが、少なくとも会社で講習などを受けた事はない。
学ぼうと思ったら例えば以下のような勉強会に参加するなどの方法はある。

ソフトウェア開発におけるカラーユニバーサルデザインの重要性
http://www.inside-games.jp/article/2009/10/29/38472.html

ゲームソフトウェアというのは生活に必要のないものだ。
だからこそ、予備知識なしに触っただけでも内容が理解出来、楽しめるようでなければユーザーの方々に遊んでもらえない。よほどの事がない限り、我慢して使う事はないわけだ。
それでも、数多くの熱心なファンを持つゲームだとこういう事が起こったりもする。

「モダン ウォーフェア2」ユーザーが、色覚異常用パッチを求める署名運動を開始
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0912/21/news086.html

レーダーに表示されるシンボルの敵味方の区別が付かないというのは、対戦プレイヤーにとっては致命的な問題だ。ほんの少しの配慮で、8%のユーザーが楽しめるようになるわけなので、高いコストではないはずだ。
デザインの問題も絡むが、ソフトウェアの場合、色覚ハンデを持つ方向けに専用の色セットなどを用意する事も出来る。

この問題に関して、専門的な知識を身に付けるのはなかなか難しいかも知れない。
しかし、例えば上記のガイドラインを熟知していないとしても、色覚ハンデを持つ方々の視界をシミュレートするためのアプリケーションなどもリリースされている。

色のシミュレーター
http://asada.tukusi.ne.jp/cvsimulator/j/

このソフトウェアは、専門的な知識を持つ制作者が医学的に正しいシミュレーションを行い、iPhoneで色覚ハンデの方が持つ視界を再現出来るというもの。本当に誰でも簡単に使う事が出来、チェックが可能なので、ユーザーインターフェイスに関わる人間は必ずダウンロードして持っておいて良い。

これらは個人の努力で出来る範囲だが、例えば開発工程の中でQA項目に上記の色彩チェックを含めるなどしておけば、より万全になる。
また、ゲームエンジンなどの開発環境に色のシミュレーターのような機能を持たせておけば、UIデザイナーやアーティストは実装をしながらより簡単にチェックが出来るようになるだろう。

2013年6月21日金曜日

「世界一正確な心理テスト」という占い

しばらく前から表題にある「世界一正確な心理テスト」や「科学者が~」「FBIで~」のような文句をタイトルに掲げた占い系アプリケーションを使う人が増えている。

「占い系」と書いたが、このblogを読みに来るような方の多くがご存じの通り、多くの心理テストというのは特に根拠がない、もしくは個人的な体験を元に作成され、結果の妥当性が示されていないコンテンツに過ぎない。それなりに工夫がされていれば、どのような結果が出てもそれなりに自分に当てはまると思える程度に調整されているかも知れないが。

人間の性格は様々な要素から成り立っており、大ざっぱに一桁の選択肢で分類出来るほど簡単ではないし、曖昧な質問に対する人間の返答というのは直前の体験やその時々の気分によって簡単に変化する。実際にどういう性質を持っているのか判断するのに、臨床心理士などのプロが存在するのは、機械的に簡単に判断できないからという理由に他ならない。

実際に本当に現場で使われているのかどうかは知らないが、例えばドラマや創作物などでよく見る心理テストでは、公園やリンゴの木、家族がくつろぐ場所などを絵で描かせたりする。しかし、実際に描かれたものは心理状態を反映したものではなく、直前に見た場所や情景の正確な描写であるかも知れない。
シチュエーションを示したテストは、簡単にコンテクストに上書きされてしまうので、一問だけでは成立しない。おそらくプロも複数のテストをし、言動や話の内容などから総合的な判断を下しているはずだ。

上記のように、Facebookなどで回って来る心理テストというのは実質的に占いと言える。ではそこに「世界一正確」「心理学者が~」「科学者が~」「FBIが~」とつくのは何故だろう? 有り体に言えば、占いを最もらしく見せるための演出に過ぎない。有り体に言えば嘘である。
本当にたった一問のどうでも良い質問で人間の性格がわかるなら、それは大いに自慢して良い成果だが、論文なり実験結果などが示されている事は皆無。当然、そんな論文は探したとしても見つからない。

とは言え、占いは占いとして楽しめるコンテンツではあると思っているので、そこに強く依存したり、その結果を人に押しつけたりして迷惑をかけなければ、楽しむのは個人の自由だ。
しかし、問題はここからだ。「世界一正確な心理テスト」という名前をつけた占いを作成し、それをFacebookのアプリケーションとしてわざわざ公開している理由はなんだろう?
例えば、製品のキャンペーンなどでそうした「~診断」や「~占い」を作成し、物珍しい、目新しい結果を共有し、結果宣伝になる、というのならば納得できる。

しかし、上記のような心理テスト風占いはそうした企業とは連動していないし、特に何が目的という事も書かれていない。しかし、何の利益もなくああいったものが次々と出て来るわけはない。
ある程度SNSに詳しい人間ならば自明だろうが、ああいったアプリケーションはユーザーを集め、Facebookと連携する事で多くのユーザーのデータを収集していると言われている。

実際、収集されたデータがどう使われるのか、データを取られた場合にどう実害があるのかという点については具体的に何とも言えないが、派手で安っぽい嘘の文言でユーザーの気を引き、個人情報を収集しているような会社や団体のやる事なので、想像に難くはない。

2013年6月17日月曜日

東京おもちゃショー2013レポート

何年前からかは憶えていないが、毎年東京おもちゃショーの見学に行っている。
一般日は非常に混雑するのでお勧めできないが、ビジネスでーは比較的空いているため、エンターテインメント関連の職業に就いている方や研究をされている方には強くお勧めしたい。

私個人としては、東京おもちゃショーは東京ゲームショウよりもずっと面白いと思っている。何故ならゲームの多くは映像で魅力を伝えられるし、体験版などで配信も可能だが、おもちゃは実際に目の前で見てみないとわからない事が多いからだ。
とは言え、これは普段からまめにゲームの情報を集めており、実際開発現場を目にしている人間の感想なので、一般的には同じくらい面白いのかも知れない。

今回見てきたものに関してはキャラクター、ゲーム、ハイテク、ビルド、その他の5つに分けて紹介したい。


2013年6月14日金曜日

東京おもちゃショー2013 おすすめ玩具速報

東京おもちゃショー2013に行ってきました。
長くなりそうなので後日またレポートはしますが、今回特にお勧めと思ったものを速報でお届け。

まずはハピネットのマイクロチャージャー。
8秒の充電で60秒間元気走るわずか2.5cmの超小型レーシングトイ。スピードタイプとロングタイプがあり、それぞれ違う走りが楽しめるとの事。
コースもかなり充実している。チャージャーセットが2千円弱、コースも2千円前後と値段も手頃なので少しずつ拡張していく楽しみがありそう。7月発売との事で、Webを探し下もまったく情報が見つからないのが残念。動画を撮影してくれば良かった。
Amazonではすでに予約を受け付けているようだ(でも単品売りがない!)
すでに購入する気、満々。

もう一つはヨーロッパ発のメタルパーツをビルドする玩具、MECCANO。
こういったビルド系のおもちゃはたくさんあるが、メタルパーツというのは割と珍しい。色合いも渋く、曲線的なデザインのメカも非常に格好いい。
まったく知らなかったのだが、このMECCANOはなんと1901年創業で100年以上の歴史を持つ老舗。MECCANOのWebサイトにはソニック・ザ・ヘッジホッグやタンタンの冒険などのキャラクター系トイも。
何度か日本に入ってはいるものの、その度に撤退しているらしく、今回何度目かの挑戦との事。東急ハンズなどで販売されるそうだが、私としては是非、日本科学未来館のおみやげコーナーに置いて欲しい。

さて、最後は今年に限らずいつもお勧めしているアソブロック

おもちゃショーには様々なブロックが出展されていて、どれも個性的で面白いのだがこのアソブロックは格好良いシルエットで間接を持ったロボットやモンスターなどをデザインするのに向いている。ゲームデザイナーがアーティストにゲームに登場する敵や味方のイメージを伝えるのに非常に良い。
ユーザーによる作例なども展示されていた。
バーと60度、90度単位の固定ジョイント、ボールジョイントを組み合わせて立体を構成していくので子供向けとしては少々難しいが、その分思い通りの立体物が作れる。

最後はおまけ。
タカラトミーの「じゃれ犬」
振動によって犬がちょこまか動く。かわいい。


実際見て来たものは紹介しきれないくらいあるので、詳しいレポートは後日!

2013年6月12日水曜日

人は何故遅刻するか? -遅刻しないために気をつけている2つの事

世の中には遅刻をする人が多い。
私も頻度は高くないが時々遅刻をする。

自分の遅刻の理由を分析してみると、ほとんどが「早く家を出た事に対する油断」に集約される。
私は可能な限り遅刻をしたくないと思っており、予定の時間より10分~15分程度早く到着するよう交通機関の時間を調べ、駅まで行くのにかかる時間と、起きてから家を出るまでの時間をやや多く見積もっておく。そのため、予定より少し早く家を出て、少し早めの電車に乗る事が多い。
しかしこれが要注意で、早い電車に乗ったものの実は特急に追い抜かされてしまったり、乗り換え時に普通電車に乗るところを急行に乗ってしまって目的の駅を過ぎてしまったり、というケースが発生する場合がある。
対策としては

・予定と違う電車に乗る場合、それで予定通り到着するか乗る前に調べる
・電車の行き先と種類を確認する

という事が挙げられるが、遅刻する事そのものが割とレアなので忘れてしまいがちだ。
なお、学校や会社などに関しては習慣づけられているのと、基本的には30分以上前に到着するようにしているため、幼稚園から数えて遅刻ゼロで、電車が遅れた時でさえ始業時間に間に合わなかった事はない。

一般的に人が遅刻するパターンは以下のように分けられると思っている。

  • 遅刻しても良いと思っている
    • そもそも遅刻そのものを気にしない
    • 気にしないわけではないが抵抗が少ない
      • ある程度の遅れまでは経験的に許容されると考えている
      • 周囲が時間通りに来ない傾向にあるので遅刻に抵抗がない
      • スケジュールが詰まっており、遅刻しても仕方がない
  • 基本的に遅刻するつもりはない
    • 行動が遅れてしまう
      • 寝坊してしまう
      • 家を出るのが遅くなってしまう
        • 気がついたら時間を過ぎている
        • 思ったより準備に時間がかかってしまう
      • 目的地までの経路を検索したらすでに出発するべき時間を過ぎている
    • 移動のミス
      • 間違った電車に乗ってしまう
      • 最寄り駅から目的地への移動で迷う
    • 不可抗力
      • 前の予定が押してしまう
      • 交通遅延


「遅刻しても良いと思っている」層の人に対しては、なんともアドバイスのしようがないのだが、「基本的に遅刻するつもりはない」人に対してはある程度出来る事がある。
遅刻したくないのにしてしまうという場合、多くは「準備と見積もりの不足」という点に集約される。

家を出るまでにたいていの場合、

  • 目的地までのルートを調査する
  • 調査結果から出発する時間を決める
  • 持ち物を用意し、身だしなみを整える
というプロセスを踏む。
目的地までのルート調査は前日もしくは十分な時間の余裕を持って行われているはずだ。
当然、これが出来ておらず直前になって調べると、すでに間に合わないというような事が発生する。
ルートを調査した際に乗り換えが発生する場合、その時間が妥当かどうかという事も考えておいた方が良い。例えば、階段からもっとも遠いところに乗ってしまった場合や、乗り換え移動中に方向を間違えてしまった場合、なども想定して余裕を持っておくと安全だ。特に初めて乗り換える駅などに関しては要注意だ。

また、朝起きてから家を出る場合、何時に起きるかという点も重要だ。これはもちろん、寝る時間のコントロールも含む。当然ながら、標準的な睡眠時間が6時間の人間が、朝6時に起きるから12時に寝ようと思うとたいてい失敗する。寝ようと思ってから実際に行動を起こし、布団に入ってから寝付くまでの時間分、余裕がなければならない。
起きてから準備をし、家を出る前の時間を見積もる必要もある。毎日の通勤、通学などに関しては行動が最適化されているので比較的短時間で家を出る事が出来るかも知れないが、いつもと違う場所へ行くときは注意が必要だ。

起きた直後は頭が十分に働いていないので、出来れば家を出るための持ち物一式や着る物などは前日に用意しておいた方が無難だ。身だしなみに関しては、ゆっくりやって作業を終えるのにどの程度かかるかは把握しておくと大急ぎでやるはめにならずに済む。

家から駅までの道のりは、たいていの人は何分程度かかるのかわかるはずだ。しかし、これに関しても自分が把握しているのがどの瞬間からどの瞬間までの時間なのか、という事を意識した方が良い。ドアを出てから駅の改札に入るまでの時間を「駅までの時間」と認識しているというケースがよく見られるが、準備を終えて家を出ようと思ってから駅の改札に入り、ホームへ移動してドアから車両の中に入るまで何分と見積もっておいた方がより確実だ。前者になりがちなのは、時計を見るタイミングが家を出て移動を開始する瞬間や、駅に入って電光掲示板を見る瞬間などになるからだ。

駅での乗り換えなどに関しては、予め調べたものをスマートフォンのカレンダーなどにメモとして入れておくと便利だ。乗り換え案内AppやWebサービスではたいてい検索結果をテキストで出してくれるようになっているのでそれを使う。ホームの番号、行き先、種別、時間は入れておきたい。
ホームの番号があれば駅内での移動に迷う事は少ない。時々、特定の階段からでは行けないホームなども存在するので注意深く案内を見る必要はある。

また、目的地の最寄り駅から出て歩く場合や乗り換えをする時に、どの改札から出るのか、南蛮出口から出るのか調べておくことも必須だ。前述のホームの例もそうだが、駅の中では固有改札名や番号さえ把握しておけば、見当外れの方向へ行ってしまう事はほとんどない。

さて、ここまで読んでみると書いてある事が細かい、思ったよりもやる事が思えるかも知れない。だからこそ、これを明文化してみる必要があった。事前に調査や準備をしていない場合、出かける直前や移動中にこれらの作業をこなさなければならない。それこそ何より面倒な事ではないだろうか。

私の場合は以下のような流れで行動している。

  1. 予定が決まったらGoogleカレンダーに大まかな予定を入れておく(ブッキング防止)
  2. 予定の日が近づいて来たら移動中など空き時間を利用して移動経路や時間などを調査しておく。この時、まず家から目的地までGoogle Mapで検索をし、おおまかな時間を徒歩ルート込みで把握する。私自身はGoogleの経路検索をあまり正確と思っていないのと、ホームの番号の情報が表示されない、テキストデータが出て来ないなどの理由で路線検索には別なサービス(WebではJorudan、iPhoneではNavitimeの経路検索)を使っている。調べた結果はiPhoneのメモ欄に入れておく。
  3. 前日までに必要なものがあればメモ欄に書き加えていく。常に持っているわけではないものや、他にカバンに移動させておかなければならないものも書いておく。名刺、充電器、モバイルバッテリーなど。
  4. 前日になったら寝る前にメモ欄を見て持ち物をチェックし、準備しておく。次の日の天候や気温なども調べてリビングに出しておく。また、駅から出た後のルートなどをGoogle Mapで調べておく。そのままにしておけば当日Google Mapを開いた時もその状態で保持されている。準備を忘れないように、予め前日に予定がポップアップするようにセットしておく。
  5. 起きる時間を設定し、目覚ましをセットする。また、家を出る10分程度前にもアラームが鳴るようにしておく(鳴るまでに準備を済ませておくのが目安) また、自分の標準的な睡眠時間が取れる程度の時間にちゃんと寝ておく事も重要。
ポイントはたった2つだ。

  • 準備を分散する

    空き時間に調査を済ませておく、前日に用意出来るものはしておくなど。
  • 自分の実行動時間に合わせて予定を立てる

    「明日は目覚ましが鳴ったら早く起きよう」「手際よく準備をしてさっさと家を出よう」というように、いつもより効率的に動こうと思うと失敗しがち。いつもどの程度の時間がかかるかどうかを把握し、その分だけ早く行動を開始するように見積もれば慌てる必要はなくなる。

以上のように書いてはみたものの、これが誰もに有効で簡単な方法だとは思っていない。あくまで自分はこうしているという話に過ぎない。
しかし、つい遅刻してしまう、でも遅刻はしたくないと思うのならば、自分がどういった時に遅刻してしまうのかを考え、それをリストアップし、それぞれの対策を考えてみてはどうだろうか。自分の行動を記録し、分析する事で何らかの解決策が見えてくるかも知れない。「わかってはいるけれども実践出来ない」という時は、何故実践出来ないのか、どうすれば実践出来るのかというところまで考えてみれば良い。それでも出来ないと思うのならば、それはそれで仕方がない。考えて実践するコストの方が遅刻して申し訳なく思うコストよりも高い、というだけの話だ。

なお、私自身は遅刻をする友人知人に対しては、標準的にどの程度遅刻をするかある程度把握し、その分だけ待ち合わせ時間などを早めに設定しているし、仕事においては致命的な遅刻をすればその分だけペナルティがあるというだけだと思っている。遅刻をする人に対してこれといって悪い印象があるわけではなく、本エントリはその是非を論じるものではないという事は付け加えておく。

2013年6月10日月曜日

科学を伝えるメディアとは?

SNS上で度々指摘されているが、研究発表した結果というのは度々Web記事などのネタになるものの、正しく内容が伝えられている事は少ない。
例えばこんな具合だ。

これは日本語の記事

記憶のコピーが可能になる!?記憶が保存されたマイクロチップを脳に埋め込むことで記憶を保つ技術を開発中!!2年後には人間に移植へ!!


タイトルだけでも昔から繰り返しSFなどで語られてきた人間の電脳化について、大きな前進があったように読めるし、文中でも様々な可能性について触れられている。
しかし、このソースはこちら

The micro chip that will save your memory: Scientists set to implant device to preserve experiences into BRAINS

こちらを読むと、現状はラットや猿の脳の電気信号の一部をデジタルデバイスによって置き換えるという実験をしているのみで、記憶のコピーというのはあくまで将来的な展望として語られている。裏を返せば、現状のままでは損傷した脳の代わりにデジタルデバイスを埋め込んで機能を代替させる事は出来ても脳の損傷による記憶の回復は出来ないという問題は未解決である、と言える。

脳については、こういった希望的な話が非常に出回り易い。脳科学はコンピューターの演算能力の向上や脳機能を計測する様々な装置の発達によって近年様々な進歩を遂げてはいるが、人々の生活を変えられるほど身近なところには来ていないからかも知れない。

脳神経科学などに限らず、記事としては面白い、興味深いがその道の専門家から見ると現状を正しく伝えていない、著しい誤解を与えると思える記事はいくらでも存在する。私も例えばバーチャルリアリティや拡張現実感(Augmented Reality)、ゲーム関連(とりわけいわゆるゲーミフィケーションについて)の記事を読んだときに違和感を感じる事は非常に多い。

先日も、最先端の研究者が数理について語るという番組の公開収録を見に行ったのだが、番組制作者側が自分たちが考えている理系という枠に話を押し込めようとする意図があまりに強く、ゲストの話に興味を持って来ていた多くの観覧者が殺気立つのすら感じてしまった。

もちろん、科学記事やテレビ番組にも良いものはいくらでもある。しかし、面白くしよう、わかりやすくしようと考えるあまり、取材される側が伝えたい内容とかけはなれてしまうという事は起こりえる。特に研究者、科学者という職業の人間は、創作物の中に登場する多くのキャラクターと違い、断定的な物の言い方はしないし、話の内容が成り立つ前提条件や、不確定な要素に関しても可能な限り正確に語りたがるものだ。
また、自分の専門分野外のものや、語るための情報が足りないものに関しては例え一般論として何かを話す事が出来ても可能な限り沈黙する。
はっきり、短く、わかりやすく伝えたいテレビや雑誌、新聞などのメディアと研究者というのは相反する存在なのかも知れない。

もちろん、私のようにblogを書いたりする人間もいれば、ラジオ番組をやってみたり、TwitterやFacebookなどを通じて情報発信を行っている研究者もいる。
しかし、そうやって分散してしまうと、拾う側の労力も並大抵の事ではない。
また、科学雑誌や科学blogというのは、元々興味があって熱心な読者が読むので、テレビのようになんとなく多くの人が面白そうと思って視聴する、というものにはまったくかなわない。

そんな事を考えてみると、改めてニコニコ学会βの存在が面白いと思えた。
ニコニコ学会βは学会というものの堅苦しいイメージを打破し、ユーザー参加型の研究の場を作り上げるという目的で開催されている学会だ。その名の通り、ニコニコ動画のようなカオスな様相を呈し、その内容はニコニコ生放送などを通じて視聴する事が出来る。
目的などに関してはこちらを読んで欲しいのだが、ここに書かれているようにニコニコ学会βは別に科学コミュニケーションや科学リテラシーの向上を目的として作られているわけではない。しかし、この「楽しそう」という感覚は旧来の学会という枠を越えて遙かに多くの人にリーチし、学問に対して興味を持ってもらえるはずだ。
ニコニコ学会βについてもっとよく知りたい方にはこちらの書籍をおすすめしておく。

進化するアカデミア

進化するアカデミア
人はコンテンツのあるところに集まる、というのは明らかで、誰かがメディアを通じて発信したものに対して、それは正しくない、正確ではないと言い続けても、そこに共感してくれる人の大半はもともと同じ考えを持っているだろう。

私はよく、上記のように曖昧な情報に対して補足をしたり、間違っているのではないかと思える情報を正したりといった事をやっているが、そこに義務感や正義感があるわけではない。単純に自分自身そういった細かい事が気になるし、気になったところを掘り下げていって間違っている、曖昧である、あるいは正しいという事を確認していくという行為そのものを楽しんでいる。

私に限らず、そうした性質を持った(ちょっと変わった)人間が研究者という職業に就くのかも知れないが、もしそれが誰にでも簡単にできたり、もしくは集団で互いに知識や知恵を補完しあって出来るならば、もっと多くの人がそういった事をするようになり、広がっていくかも知れない。

科学を正しく伝える、似非科学やデマを打破するというような活動はWeb上でもオフでも、多様に存在し、多くの人が関わっている。それは日本の科学教育を根本から見直そうというものもあれば、草の根で活動を続けるものもある。と学会などもその一つと言える。

ただし、「面白い」と言っても方向性はいろいろあるので注意しなければならない。間違ったものや誤解されそうなものをあげつらい、笑い者にするいわゆる晒しのような方向も人間は楽しめる。しかし、そうやって攻撃的になってしまうと、互いに不毛な議論を繰り返すばかりになりかねない。
だからこそ軽々しく、そう簡単に「こうすれば良い」という結論が今ここで出せるわけではないのだが、やはり自分でもいろいろと考えてはおきたい。
ニコニコ学会βはそのために、大きなヒントをくれている。

読んだ人間それぞれが、ただコンテンツを楽しむだけでなく、自分も深く調べようと考え、それを楽しめるようなメディアを作る事が出来ればきっと大きな貢献になるはずだ。

2013年6月6日木曜日

「ビーフストロガノフのビーフは牛肉という意味ではない」という風説

Twitterでたまたま「ビーフストロガノフの”ビーフ”は元々ロシア語の”ベフ”で〜風という意味の接頭語だと知り驚いた」という旨の発言を見た。
 なるほど、カタカナで伝わると本来の意味からずれてしまうような事もあるかも知れない、と思いつつソースがどこか確認しようとしたのだが、これといったソースがなかったので、まず日本語のWikipediaでビーフストロガノフを調べてみたところ、確かに「そういう説もある」というような事が書かれていた。

念のため他の言語でも調べてみようと思い、英語のBeef Stroganoffを調べてみたが、そちらにはその情報が載っていない。こうなるとやや眉唾だ。
さらにロシア語のWikipediaでБефстроганов(ベフストロガノフ)を検索。
さすがにこれは読めないので、Google翻訳を使って確認したところ書いてある内容はほぼ英語版と一緒だった。しかし、材料の欄を見たところговядина(牛肉)と書かれている。

строгановはストロガノフなので、Бефはベフと読むのだろうが、ではこれはどういう意味になるのだろう? GoogleでБеф(ベフ)検索すると、圧倒的にБефстроганов(ベフストロガノフ)が出てくる。

次にストロガノフを除外しБеф -строгановで検索したところ、Бёф бургиньонという料理が出てきた。英語で表記するとBeef bourguignon(ビーフ・ブルギニョン)、ブルゴーニュ風牛肉の煮込みだ。
これも材料がговядина(牛肉)と書かれている。またしてもБефは謎だ。

しかし、日本語のWikipediaに書かれているようにБефが本当に〜風を意味する接頭語であるなら、もっとたくさん検索に引っかかるはずだ。しかしWeb上のロシア語辞書を調べてもそれは出て来ない。 

しかし、ヒントもあった。ビーフストロガノフのロシア語の説明にはБефстроганов(Bœuf Stroganoff)と書かれている。括弧内はフランス語だ。 そして、ビーフ・ブルギニョンも同様にBeef bourguignon(Bœuf bourguignon)と書かれている。こちらはブルゴーニュ風と書かれている通り、明らかにフランス料理だ。 フランス語のWikipediaでBœuf Stroganoffをチェックしてみたところ、英語やロシア語よりも記述はあっさりしていたものの、ビーフストロガノフの名前の起源の一つの説としてフランス料理のシェフ、パベル・アレクサンドロヴィッチ・ストロガノフ(Pavel Alexandrovitch Stroganov)という名前が挙がっていた。 

こうやってなかなか調べていくとキリがなさそうなのだが、世の中にはやはり同じような疑問を持つ人がいるもので、その後すぐにこんなblogを見つける事が出来た。
私よりもずっと丁寧に、情熱を持ってエントリを書かれている。

  Stack-Style ビーフストロガノフの蛇行

この内容には非常に納得出来る。あくまで推論の積み重ねなので、100%事実とは断定できない。しかし、ベフ=~風説に対してこういった裏付けは調べてみた限り皆無なので、Беф外来語説の方がだいぶアドバンテージがあると言えるだろう。

この「ビーフストロガノフのビーフは牛肉という意味ではない」という風説だが、2011年にも同じような話が広まった形跡がTwitterにあり、最後はやはり上記のblogの記事で締めくくられていた。これに限らず、Web上には様々なクラスタが形成されているので、同じような話題は浮かんでまた消えていく。
面白かったのは「ビーフストロガノフのビーフは牛肉という意味ではない」という風説に対し「ロシア語の辞書を調べてみたら確かにそういう意味だった」と、内容を裏付けるような発言をしている人まで存在していた事だ。しかし、上記のようにそんな単語は私が調べた限り存在しなかった。

なお、今回(2013年6月)の話の元は電子辞書にそのような記述があった、という発言にあり、それに対してはスクリーンショットも見せてもらった。私もこの話題を辞書で初めて見て知ったなら、疑わなかったかも知れない。無害な問題だから良かったが、これはなかなか恐ろしい話でもある。

こういったトリビアや、センセーショナルな話題は広がりやすい。
前のエントリでは「情報を拡散する前に考えたい3つの事」というような事を書いた。
しかし、今回調べてみて思ったのは、私がこうして情報元を当たったり調べたりするのは、倫理観や義務感などではなく、単純に自分で情報を吟味し、納得するという行為自体が面白いからに他ならないという事だ。

学習、研究というのもまた一種のエンターテインメントなのだ。

2013年6月4日火曜日

情報を拡散する前に考えたい3つの事

SNSを使い慣れた人間には今更、という内容ではあるが、定期的に同じ事をTwitterやFacebookに書いているのでここにまとめておく。
  1. その情報は確実に正しいか?

    情報の真偽を確認するのは手間がかかるし、難易度も高い。しかし、責任を持って情報を発信する人間は必ずどこから得た情報かを書くものだ。不明だとしたら、まずそれを探すべきだ。
    信頼できる友人知人からの情報だとしても、その人たちが勘違いしていたり、騙されていたりという事もある。ソースは示されているが、実はそこにそんな事は書いていないというケースも頻発している。英語その他の外国語サイトがソースだと、誤訳や勘違い、故意の捏造なども起こりやすい。
    ここまで読んでいちいちそんな事はやっていられないと思うかも知れないが同感だ。そういう時には、わざわざ真偽わ追うのをやめる代わりに、むやみとそれをRTしたりシェアしたりしない、という誰でもできる簡単な選択肢があるのでそれは憶えておきたい。

  2. 誰のためにその情報を広めるか?

    情報の価値というのは人それぞれだが、反射的にシェアやRTをする前に何のためにそれをするのか考えた方が良い。インパクトのある情報を他人と共有したいという欲求は本能的なものかも知れないが、広めた結果どうなるか、という事も考えよう。
    例えば誰かが不愉快な目にあった、というTweetがあったとする。友人ならそれに声をかけてあげたいと思うのはごく自然な事だ。
    しかし、それを広める事にどれだけ意味があるだろうか?
    人間は共感する生き物なので、友人が不愉快な気持ちを表明すると、自分も不愉快な気分になる。時に悲しんだり、怒ったりするだろう。それをRTしたりシェアしたりすると、今度はそれを見ている人が同じ気分になる。マイナス感情の再生産である。
    そこにはエネルギー保存の法則が存在しないので、場合によっては際限なく広がっていく。
    さらに不愉快な目に合わせた人間が例えば公務員やマスコミなど叩かれやすい職業の場合、こういった話は広まりやすい。不愉快感情が再生産され、その怒りが行政や企業に向き、特定の企業や有名人が叩かれるという構図はよく見る事だ。しかし、そんな事をしても我々の生活や社会が良くなる事は非常に稀で、感情分のエネルギーが失われていくだけだ。
    さらに言うなら、匿名の人間の主観的な発言を以って特定の個人や組織の非を決めて叩くというのはいかにも一方的な話だ。不愉快な目にあった本人やその周辺の誰かがどうしても相手を許せないのならば、直接相手や組織に抗議をした方が余程有用だ。また、この問題は1とも絡んでくる。

  3. 自分が責任を持ってその情報を再発信しているか?

    シェアやRTをするというのは、自分で一度受け止めた情報を再発信するという行為であるという事は意識しておきたい。
    受け手は、誰が再発信したかというバイアスで情報を受け取る。受けた方から見れば、その情報は発信者のものであると同時に仲介者のものでもあるのだ。人間誰しも勘違いや間違いはあるが、あまりに軽々しく誤情報やどうでも良い事を再発信していると、本人の信用もなくなっていく。
シェアやRTによる情報の共有、再発信は手軽かも知れないが、そこで得られるものが大きくない割に、リスクは発言するのとあまり変わらない。

最初の項でも書いたように、真偽不明な情報を再発信しない、というのは誰にでも出来る非常に簡単な事なので、それだけは憶えておきたい。

2013年6月2日日曜日

学生さんに知って欲しい研究展示の際に気をつけるべき7つの事

私は企業所属の社会人研究者なので、学生さんを指導したりする機会は今のところないのだが、研究室公開や研究発表会などを見に行く機会は多く、そこそこの頻度で学生さんと接している。
そうした研究発表会は、荒削りながら斬新な発表に触れ、未来の研究者足る学生さんたちの熱意を感じる事が出来るため非常に面白い。

反面、学生さんならではという気になる部分もあり、そういったところは研究室や大学、学年などを越えてだいたい共通している。が、「学生だから」という事で、皆細かい不満点などは言わずに終わりがちだ。しかし、少し気をつける、意識するだけで発表会のクオリティは大きく上がるので以下に書いておこうと思う。
  1. 開始時間厳守

    非常にシンプルだが重要な事だ。私は発表会などの際、時間がなくて全部見る事ができなかったという事がないよう、できるだけ開始時刻に行くようにしているのだが、時によっては行ってみても半分くらいのブースに人がいない、準備中であるという光景を見る。
    こういう時、まず稼働しているところに行って説明を聞き、時間を見計らって準備中のブースを覗いてみたするのだが、下手をすると何周もするはめになるし、場合によっては忘れてしまう事もある。
    開始と同時に入場してくるような来場者は、非常に熱心にフィードバックをしてくれる人間が多いのではないかと思う。そうでなければ、休みの日にわざわざ朝から大学の発表に行ったりはしないだろう。また、後ろに予定があって早く来場している場合、最初の接触を逃すと帰ってしまうという場合もある。
    発表の準備は前日までにセットアップを終え、そのままの状態で電源を落として帰るのがベスト。当日朝の準備はあくまで前日の状態で動くという事を確認するためのものだと思った方が良い。

  2. 学生同士のおしゃべりはほどほどに

    発表会の開始直後も含め、人がまばらな時によく見られるのだが、学生同士でおしゃべりをしているのをよく見かける。一言も口をきかないようにするのはなかなか大変だが、発表会というのは来場者のために開かれた空間であるという事を忘れてはならない。学生同士のおしゃべりに熱中している様子を見れば、意識が来場者に向いていないのは明らかで、外から来た人がそれに好感を持つことはないのでそこは注意して欲しい。
    来場者として来ている同級生や学外の友人と喋っている、というケースもあるだろうが、それは来場者にはわからないのでそのあたりも気をつけよう。

  3. 暇な来場者を作らない

    ポスターやデモなどを見ている来場者がいたら声をかけるのは当然だが、誰かの相手をしている間にその様子を眺めてしばらく経っても空かないという光景をよく目にする。自分のポスターを読んでいたり、会話を横から聞いたりする人が出て来たら、その来場者も話の輪に入れてしまうと良い。近くで空きを待っている来場者は明らかに研究に興味があるので逃してしまうともったいない。また、近隣で相手を仕切れないほど人が溢れていたりしたら引き取って自分のところに連れてくるというのも手だ。

  4. 回転率を意識する

    自分の研究を詳しく説明した、出来るだけ理解してもらいたいという気持ちは当然で、それは良い事だと思うが、説明が長くなりすぎていしまうと相手に出来る人数も減ってしまうし、聞いている方も飽きてしまうかも知れない。自分が一度のどの程度の人数の相手が出来るのか、一回の説明にどの程度かかるのか把握しておくと良い。こればかりは練習あるのみだ。前日までに先生や研究室の仲間に見てもらっておこう。説明の際に、ポスターを読んでいた来場者に対してポスター内容をそのままもう一回説明するのは時間の無駄になるし、聞いている方も退屈してしまうので臨機応変な対応が必要だ。
    時間のかかるデモが入っている場合、できるだけデモ要員と説明要員を別に確保しよう。人数がいる場合、説明、デモ、デモ後のヒアリングなどに分けておくと円滑に進む。

  5. 不毛な反論はしない

    これはケース・バイ・ケースではあるのだが、来場者の感想に対して「これはこういう研究なので」「こういう意図があるので」という反論してもあまり意味がない。そう反論したくなる感想が来る時点で研究の意図、意図が伝わっていないという事だ。そういう感想は研究を世間一般の役に立てたり、よりわかりやすい説明を行ったりするために非常に重要なので素直に受け止めておくと良い。もちろん、説明すれば納得してくれる場合もあるが、有益な議論をするにはお互いのリテラシーが必要だ。目の前の一人を説得するより、自分の研究のクオリティを高めてより多くの人に理解してもらう方がずっと良い。

  6. メモを取る

    ごく基本的な事だが、忙しくなってくると忘れがち。自分の記憶力を過信せずに、言われた事はとにかく一言でも書いておいて、後で整理した方が良い。記憶は後から起こった事、より印象的な事に上書きされてしまうし、フィードバックの傾向を分析するうえでも有益だ。
    また、来場者の視点から見ると、自分が言ったことを熱心にメモしてくれると好感が持てるというのもある。

  7. 発表の目的を意識する

    上記1〜6の項目を全て実践するのはなかなか大変だ。長い期間かけて行ってきた研究を徹夜で準備してなんとか終わらせ、当日は朝から晩まで立ちっぱなしで説明をしなければならないのだから。
    しかし、それだけ大変な思いをするのには理由がある。研究発表の場というのは、自分たちの研究を広く世の中の人に知ってもらい、そこからフィードバックを得てさらなる研究のクオリティアップを目指すという目的があるのだ。特に、対面で研究者以外の人間から直接フィードバックを得られる機会というのは非常に少ない。来場者の生の反応からはアンケートなどからは得られない、本人さえも意識していない情報がたくさん得られる。
    そのため、研究発表会で大切なのはそういった反応をどう来場者から引き出すか、というところにある。だからこそ多くの来場者と接する事が必要だ。出来るだけ良い状態で反応を引き出すために、相手の立場に立って考え、接する事が大切なのだ。
1〜6の事は、7を意識して考えれば自然と出てくる内容でもある。なお、私の経験から言うならやはり職業研究者や博士課程の学生さんたちはこのあたりをきちんと意識して対応しているなと感じる事が多い。

なお、これらの事は一般的な接客や企業の展示ではごく当たり前の事だ。守られていない事の方が少ない。
だからこそ、来場者、お客として展示の場を訪れた時にそこに様々な努力や気遣いが存在するという事に気づきにくいのだ。

以上、来場者に対して対応するのは、来場者本人のためでもなければ、学校や先生のためでもない、何より自分自身のためなのだという事をよくわかって欲しい。

それでは、良い研究ライフを!

2013年5月31日金曜日

実写で表現されるアリエッティ! BBCドラマ「The Borrwers」

実写版「魔女の宅急便」が話題になっている昨今。どんな映画になるのか楽しみだ。

おそらくスタジオジブリの「魔女の宅急便」に比べると原作である角野栄子「魔女の宅急便」を読んだ方は少ないと思われる。
魔女の宅急便 (福音館創作童話シリーズ)

 ジブリの映画では、成長したキキの姿としてウルスラ、オソノさんという女性が登場しているように思えるが、原作ではキキという少女が少しずつ大人になっていく様子がシリーズ6冊を通して書かれており、たいへん良い作品なのでおすすめしたい。 

スタジオジブリ作品は原作といってもそのストーリーをそのまま追うよりも、あくまで発送の原点として存在している印象が強いが、どれもそれぞれ個性的で良い作品だ。
例えばダイアナ・ウィン・ジョーンズの原作のハウルは映画の中野涼しげな美少年とはまた違った魅力、お人好しで素直になれない性格を持つキャラクターとして描かれている。
魔法使いハウルと火の悪魔-ハウルの動く城〈1〉

他にも「思い出ぽろぽろ」「耳をすませば」「コクリコ坂から」のようにジブリ映画から原作を読んだ、というものが私には多いのだが、「ゲド戦記」「借りぐらしのアリエッティ」については、先に原作を読んでいた。それがスタジオジブリがアニメ化するというのだから、非常に期待が膨らんだものだ。

その期待の結果はさておき、特に「借りぐらしのアリエッティ」原作であるメアリー・ノートンの「小人の冒険」シリーズには特別な思い入れがあった。
床下の小人たち-小人の冒険シリーズ〈1〉(岩波少年文庫)

さて、前置きが長くなってしまったが冒頭に書いた「魔女の宅急便」実写化の話でふと思ったのは、「床下の小人たち」もどこかで別な形で映像化されていたりするんじゃないか、という事だった。
試しに調べてみたところ、なんとこの作品は1973年、1992年、1997年と何度も映像化されている。しかも最新作はなんと2011年。タイトルは英語原作タイトルの通り"The Borrowers"となっている。




これは本当に素晴らしいトレイラー。是非、日本でも放映して欲しい。せめてHuluにやって来ないものだろうか。

このシリーズを読んだのは小学校2年生の頃だった。
私は昔からファンタジーが好きで、ずいぶんといろんな話を読んだものだが、特に好きなのはこういった物語。すなわち、現実世界の延長であり、どこかで起こっているかも知れないと思える不思議な話だ。例えば「ナルニア国物語」「はてしない物語」なども同じ特徴を持っている。

現実に生きている我々も小人を目にする事はないけれども、隠れて住んでいる小人たちは普通、人間には見つからない。もしかするとある日、ふとした拍子に小人を見つけて友達になれるかも知れないのだ。
(なお、原作アリエッティはジブリ映画と違って非常に勝ち気な少女である)

物語はそうやって子供の現実を拡張する事がある。ファンタジーの世界に入り込むのではなく、読み手のいる世界にそっと侵入し、日々の暮らしを楽しくしてくれるのだ。
子供の頃にそうした本に出会えるというのは、とても幸福な事だと思える。

2013年5月29日水曜日

ウェアラブルコンピューターは相貌失認を救うか?

ブラッド・ピットが失顔症の可能性を告白した事で、再び相貌失認(失顔症)が話題となっている。相貌失認というのは、人の顔を見てもその個体を識別できない症状の事だ。
実際どのような症状か、という事についてはこちら、「しゅうまいの256倍ブログ」の記事『顔が憶えられない「相貌失認」私のエピソード』に詳しい。

人間はただ物を見ているわけではなく、視覚情報を処理して物体を認識している。中でも顔認識は特殊な高次処理であり、それを示す例として顔倒立効果というものが知られている。顔倒立効果とは、人間の顔写真の目と口のパーツを垂直方向に反転させた写真を見せた時に、正立方向では明らかに不気味な顔になっているにも関わらず、倒立方向ではわずかな違和感を感じるに止まるというものだ。サッチャー錯視とも言う。
これは、人間がコミュニケーションを図りながら生きていくうえで、相手の表情や個体の違いが重要であるため、目や口のパーツを認識する処理を過度に学習してしまうからだと言われる。すなわち、倒立画像においても成立方向の目や口を認識し、違和感を感じなくなってしまうのだ。

しかし、相貌失認の症状が見られる方の場合、この効果が現れないと言われる。
例えば「相貌失認患者の全体処理システムに関する研究」では相貌失認の方に関してはむしろ倒立顔の認識が正立顔よりも良好という結果を残している。

相貌失認が深刻なのは、それが脳機能のなんらかの障害から来ているため、賢明に顔を憶えようとしたり、注意を払ったとしても効果がないか、著しく効率が悪いと見られている点にある。

さて、相貌失認の症状あるなしに限らず、人の顔が憶えられないで困っているという方は数多く存在する。例えば私もその一人で、何度か会った事のある方に初めましてと言って名刺を渡してしまったり、話しかけられても誰だかわからずに話を続けてしまったりといった事は日常茶飯事である。定量的に測定した事がないので、自分の顔記憶レベルがどの程度なのかはわからないが、年間を通じて割と大量の人に会うし、講義や講演などを行うと、自分は相手を認識していないが相手からは認識されているといった事が多い割に、それに耐えるだけの記憶力がないからだろうと思っている。

先に挙げたしゅうまいさんのblogでデパートの試着室に入って出ると対応してくれた店員さんの顔がわからなくなる、という話があったが、これも私はよく体験する。
おそらくはそもそも相手の顔を見ていない、注意を払っていないために起こる事だ。試着室に入ってからしまったと思うわけだ。

さらに私は人が相手の場合に限らず非常に忘れっぽく、注意を払わずに無意識に何かをしてしまうという事が非常に多い。広いショッピングセンターの駐輪場でどこに自転車を止めたかわからなくなったり、コインロッカーに荷物を入れたものの、それがどこのコインロッカーだかわからなくなったりして痛い目にあったりする。

で、それをどうしているかという話。私は基本的にいつでもiPhoneを持ち歩き、それを首から下げている。そして自転車を置く時やコインロッカーに荷物を入れる時には必ず周囲の様子も含めて写真を撮るのだ。
意識して何度も繰り返した結果、今はこの作業も自動化され、写真を撮るところまで無意識で行えるようになった。撮った事を憶えていなくてもカメラロールに写真が入っているので、自転車を止めて写真を撮ったという事は確認できるわけだ。

しかしこの方法は店員さんの顔を憶えるには使えない。家の鍵を閉めたかどうか、という事を確認するのにも使えない。また、上記に写真を撮る習慣をつけたとさらっと書いてはいるが、元々私がそういった事を身に付けるのが好きな性分だからストレスを貯めずにできるわけで、万人にお勧め出来るわけではない。

だが例えば、自分が意識していなくても自分の見たものの写真を定期的に撮ってくれたり、動画を撮りためておいてくれたとしたらどうだろう?
例えば家の鍵を閉め忘れたかも知れない、と思った時には家を出る時の動画を確認すれば良い。
これは単にビデオカメラを装着して行動すれば良いという事ではない。長い動画の中身を検索するのはなかなか大変だ。
例えばSONYのTorneはサーチの際に高速でサムネイルを展開し、検索性を上げている。しかもそのスケールを数分単位かは15秒単位で瞬時に切り替える事が出来る。そのため、二時間の番組から必要な場面まで簡単にたどり着けるのだ。
実際撮りためた映像を活用するにはそういったインターフェイスが不可欠である。あとはその映像を参照するためのデバイスも当然必要だ。

それらを満たすのは記録装置、それを高速で検索するためのインターフェイス、そして情報を表示するためのディスプレイを備え、常に携帯する事の出来るウェアラブルコンピューターである。

対応してくれた店員さんの顔を忘れてしまっても、ちょっと前の動画に戻って自分の視界に店員さんの顔を確認する事が出来れば、相手を特定する事も可能だ。
毎日撮りためておこうなどと思っていなければ1Gb/hくらいの動画を一日分保存するくらいは難しくない。

後処理で撮りためた映像の中から出会った人をピックアップして画像保存しておき、現在見ている光景の中にいる人を判別出来ると良い。名刺をもらった際にその画像を解析して個人を紐づけできたりすると非常に便利だ。

もちろん、身につけていてもおかしくないような記録装置やディスプレイがどのように実現されていくのか、という事に関して現状ではなんとも言えない。Googleの提唱するGlassに関しても、あの形で世間に受け入れられるようになっていくのか、それとももっと自然に溶け込むようなものが出て来るのかはまだわからない。

ウェアラブルコンピューターは現在の社会にとって未知の領域である。米国でもGoogle Glassに対する賛否の声があり、早くもGlass禁止のレストランなど出て来ている。日本国内でもそう易々と皆がウェアラブルコンピューターを使うような社会は来ないだろう。

しかし、現在すでにコンピューターはただ便利なものという存在を越えている。前述したように私の生活はiPhoneやその他のデジタルデバイス、サービスによって快適に成り立っている。コンピューターはすでに自己を拡張する欠かせないものであり、私に限らず多くの人間はコンピューターによって記憶力、計算力、検索能力などを大幅に拡張されているわけだ。

今回は例として相貌失認の話を上げているが、例えば視覚や聴覚の障害などに対しても様々な対処が出来るかも知れない。例えば見えにくい色、見分けにくい色を見分けるための「色のめがね」などもウェアラブルデバイスにあると便利な機能の一つだ。

多くの人が常にコンピューターを身に付け、呼吸をするように活用する世界はいずれ間違いなく来るだろう(ここで何年後、と予想する事に関してはあまり意味がない、何故ならこういったものは徐々に浸透していくのではなく何かのきっかけで急に広まる事が多々あるからだ)

それに伴って生じる様々な問題はもちろん解決していかなければならないが、すでにコンピューターによる拡張された世界に生きていると感じる私が想像する以上に、多くの人間がウェアラブルコンピューターによって救われるのではないかとも思う。

2013年5月28日火曜日

空駆け地を疾走するクアッドコプターカー "B go beyond"


Kickstarterのプロジェクト、B go beyondが面白い。



220mmという経の大きなドライビングリング(よく見ると車輪ではないではなく無限軌道!)で自由自在に走行できるうえに、その内側に取り付けられた4枚の7インチプロペラによって飛行が可能という代物。陸上を走るクアッドコプター、もしくは空飛ぶラジコンカーだ。
落下にも耐える丈夫なポリカーボネートのボディーと剛性の高いシャーシを持ち、720pのカメラで内臓SDカードに映像も記録可能。連続飛行時間は15分と言う事だ。

空陸両用のものとしてはイリノイ大学のHyTAQ Robotや自衛隊の球体飛行体などもありいずれもクールだが、このBは過去の例ともまた違い、非常にスポーティで洗練されている。

2012年5月27日現在、このB go beyondはKickstarterで資金集め中。$320の出資で組み立てキット、$370以上で組み立て済みのBを入手可能だ。AR DroneがAmazon.comで$185だが、この革新的なマシンは$400でも高くはないだろう。


制作者である"B"さんは英国サザンプトン大学の博士課程におり、米国DARPA(国防高等研究計画局)のコンペ、UAVForgeの2012年大会で150のチームを破り優勝を果たしている。
その彼の夢は大きい。
Kickstarterにはこのマシンはあくまでホビー用だが、将来的にはソーラーパネルを装備し、人が乗れるサイズのものを作成して人命救助に役立てたいとある。

もちろん、実車とラジコンの間には大きな違いがあり、その難易度は非常に高いだろう。しかし、ただ夢を語るのではなく、ラジコンという形でプロトタイピングを行い、実体化して見せるからこそ他人にもその可能性は伝わるし、応援したくなるのだ。

いつの日か映画ではなく現実でこんなマシンが活躍する日が来るかも知れない。

※2013年6月26日追記
Kickstarterでのクラウドファンディングは成立したようです。
これを書いている時点で7日を残し£105,595/£86,500という状態。
発売が楽しみですね。

2013年5月23日木曜日

冷覚と温覚の不思議

ごく最近、日本バーチャルリアリティ学会主催のバーチャルリアリティ技術者認定講習を受けた。

教科書として使われているバーチャルリアリティ学は非常に多岐に渡るバーチャルリアリティの知見を一冊にまとめた大ボリュームの書籍で、インターフェイスや実装の話だけでなく、生理学的な人間の知覚や記憶の仕組みなどにも言及され、改めて学ぶ価値のある一冊だと言える。
特に私にとって意義深かったのは、人間の五感や神経、脳の仕組みなどに関して学んだ事だった。
現象としては理解していても、何故、どのようにそうなるのか、という事を考えるには人間の仕組みを学ぶ必要がある。それらについて元々ある程度の知識はあったが何故、どのようにという視点での理解には欠けていたと言える。読む、知るという事と学ぶという事の間には大きな隔たりがあるのだと実感させられた。

さて、表題の件は人間の温度感覚に関する話だ。

人間の皮膚表面には無数の機械刺激受容器が点在している。機械受容器は複数種類存在し、それぞれの特性に合わせて刺激を受け取りって電気信号を発し、末梢神経系を通じて中枢神経へと情報を送っている。人間の器官を表現するのに機械刺激、という言葉を使っている事に違和感を覚えるかも知れないが、ここでは化学変化を伴わない刺激の事と理解しておけば概ね問題ない。

この機械受容体がつながっている神経繊維は、髄鞘よ呼ばれる絶縁性の物質で覆われた有髄線維と、それらがない無髄線維の二つに分けられる。また、神経は太いほど伝達速度が速くなるため、感覚受容器ごとに刺激を受けてから脳に伝わるまでの速度に差が出てくる。

バーチャルリアリティ学ではいくつかの代表的な神経系が示され、有髄と無髄に分けられていたのだが、その中で不思議に思ったのが表題にもある温覚と冷覚だった。
温覚は無髄線維、冷覚は有髄線維によって情報が伝達される。つまり、暖かさが伝わるのは遅く、冷たさが伝わるのは早い、と言う事だ。
しかし、これには違和感がある。日常生活において致命的なのは火や蒸気による火傷であり、そちらが優先して伝わるべきではないだろうか。現代においても一瞬で凍傷を負ってしまうような低温環境は稀で、進化の過程を考えればそういったものに触れる機会が出来たのはごく最近であり、無視しても良いような短い時間のはずだ。

が、調べてみたところ、43℃以上の熱に反応する侵害受容器が別に存在し、それは予想通り有髄線維によって信号伝達を行っている事がわかった。だが、ここでもう一つ疑問が発生した。15℃以下で反応する寒冷侵害受容器は無髄線維による信号伝達を行っており、反応が遅いのだ。
整理すると以下のようになる。

高熱:有髄
温覚:無髄
冷覚:有髄
寒冷:無髄

しかし、直感的には以下のようになるのが合理的ではないかと思う。


高熱:有髄
温覚:無髄
冷覚:無髄
寒冷:有髄

人体に有害なものは有髄線維で、無害な範囲内では無髄線維で伝達される方が合理的ではないだろうか?
それなりに調べてみたのだが、答えをなるようなものは発見できなかった。

そこで、この話は特に私の専門分野とは関係がないのだが、一週間ほど考えてみてもやはり気になるので触覚研究者である電気通信大学の梶本裕之先生に質問してみたところ、ご返答をいただく事が出来た。


私の理解の範囲内で書くと、以下のような事になる。

まず、寒冷侵害受容器につながるのが無髄繊維である理由。
周囲の環境に合った進化を遂げるには、長くその環境に晒される必要があるが、人体に危険を及ぼす低温は冷たさよりも寒さであり、一瞬で危険を及ぼすような寒さに遭遇した事はほとんどない。

これは納得出来る話。イヌイットがアラスカへ移住したのでさえ1万年前と言われる。

次に冷覚受容器につながるのが有髄線維である理由。
これは非常に興味深い内容で、東京大学工学系研究科精密工学専攻/精密工学科の山本晃生先生が2004年に発表した論文"Control of Thermal Tactile Display Based on Prediction of Contact Temperature"を梶本先生から教えていただいた。

人間は者に接触した時、皮膚表面の様々な機械受容体からデータを得て触った物体が何かを推定している。例えば接触による皮膚表面の変形などは容易に想像出来る。また、物体表面をなぞった際の震動なども重要な要素となる。このあたりについては梶本先生の触覚ディスプレイに詳しい。さらに上記の論文には、接触した物の素材推定において、触ってから2~3秒の皮膚表面の温度変化が強力な手がかりとなっているという事が示されている。

ここからは推測となるが、人類の進化の過程において、周囲にある多くの物質は体温よりも低温だったはずだ。すなわち、触ってから数秒で皮膚表面の温度の変化はほとんどの場合、温度の低下であり刺激されるのは冷覚となる。よって、冷覚は温覚よりも伝達の早い有髄線維なのではないかという仮説が成り立つ。

もちろん上記のような仮説を証明するのはインタラクション分野の外の話なのだが、今ある人間の機能がどのような課程を経てそうなったのか、と考える事は頭の体操以上に人間の感覚を理解するうえで重要な事だと常々思っている。
我々人間は、進化のうえに文化を積み重ね、複雑に絡み合ったコンテクストの上に生きている。そのため、生来の性質というものを忘れがちだが、そこを探求していくと、思わぬ発見などがあるかも知れない。私の主研究分野である「面白さ」についても同様の事が言える。

2013年5月21日火曜日

クマムシは何故放射線に強いのか?

時々テレビなどでも話題になるクマムシだが、私が最初にクマムシの事を詳しく知ったのは慶應義塾大学SFCのORF(オープンリサーチフォーラム)でだった。
クマムシは過酷な環境に強いという事で有名だが、調べてみたところ、いつでも強いというわけではないようだ。

クマムシは乾燥、低温、低酸素状態、高浸透圧などに晒されると無代謝状態に移行する。これをクリプトバイオシスという。特に乾燥によって誘導される乾眠(アンハイドロバイオシス, Anhydrobiosis)状態では、水分の含有量が80%から3%程度まで低下し、絶対零度近い低温から150℃の高温、6000気圧にも耐えるという。驚異的な数字である。

さて、表題にもあるが私が特に不思議と思ったのは人間の1000倍とも言う放射線耐性の話。ORFでは対応してくれたのが学生の方だった事もあり、あまり詳しく聞くことは出来なかった。

まず、何故これが不思議かという事を書かなければならない。

放射線とは物体を通過する際に原子や分子をイオン化させるエネルギーを持った電磁波や粒子線の事を言う。
例えば人体を放射線が通過する際、体内の水分子をイオン化すると活性酸素が出来る。活性酸素は安定した酸素に比べると非常に反応しやすい状態となっているため、体内の組織を急激に酸化させる。これは放射線の生物への間接的影響。
→参考:日本獣医師会放射線診療技師研修支援システム


また、体細胞内のDNAが放射線によって破壊されると、正常な細胞の再生が行われなくなる。特に分裂の早い造血細胞などには深刻な影響を及ぼし、白血病などの症状が発生する事になる。

前者のような活性酸素の問題は、乾眠状態で極端に水分が少なくなる事によって非常に発生しにくくなる。しかし、後者のように直接DNAを壊していくものに対しては、どんな生物と言えども抵抗できないのではないだろうか?

こればかりはさすがに考えてもわからなかったので、検索してみたらそのものずばり、以下のようなサイトが見つかった。
クマムシの放射線耐性 - むしプロ+
非常に面白い内容なので、ここまで読み進める根気のある方は是非上記記事も読んでいただきたい。

意外な事に、クマムシは乾眠状態だけでなく、水和状態でも同等の放射線耐性を備えているという話だ。同様に乾眠状態に入るネムリユスリカやブラインシュリンプ(シーモンキー)は乾眠状態の方が明らかに高い放射線耐性を示すというところから、クマムシの特異性が一掃際だつ。

仮説はいくつかあるものの、何故水和状態でも高い放射線耐性を持つのかという事に関して結論は出ていないようだ。
トレハロース含有量に関係があるのではないかという話も面白い。トレハロースは高い保湿性を持ち化粧品などに含まれている物質である。

上記の内容はもちろん私の専門分野ではなく、当記事の執筆に当たってはほとんどの内容をWeb上で調べたり再確認して書いている。興味を持った方は是非、ご自分でも深く調べて欲しい。
普段あまり生物分野に触れる事がないので、少し調べ始めるといくらでもわからない事が出て来て面白い。

2013年5月18日土曜日

独り言、言ってますか?

結婚して初めて知った事の一つに、「私は独り言を言わない」という事がある。
いや、正確に言うなら「独り言は特殊は癖ではなく極めて一般的なものだと奥さんは認識している」という事を初めて知った。

上記のように、私は一切独り言を言わない。
独りでいるときも言わないし、家でも会社でも、明確に誰かに何かを伝えたい時以外は特に発話しない。
なので、かなり長い間、私の周囲で独り言を言っている人は、不特定多数に対して意識的にメッセージを発しているのだと思っていた。
ちなみに私が過去に書いた脚本の中の登場人物は独り言を言うが、これはドラマ、映画、漫画、アニメなど創作物の中の登場人物が頻繁に独り言を話しており、主人公の心情を描写したり、間を保たせたりするのにたいへん便利な手法だと思っていたからで、経験に基づくものではなかった。
むしろ、周囲に誰もおらず、話しかける相手もいないのに発話をする人物は実際には稀だろう、という認識でいた。

しかし最近、会社でふとこの話題になり、何人かに聞いてみたところ、私を除いた全員が独り言を言うという事がわかった。日本人3名、アイスランド人、ドイツ人、フランス人という組み合わせなので、日本人特有の性質というわけでもなさそうだ。

続いてFacebookのグループでもアンケートを取ってみたところ、やはり大多数が独り言を言うとの回答だった。ただ、私の他にも1名、まったく独り言を言わないという方がいらっしゃって少々安心。

興味を持ったのでいろいろ調べてみようと思ったが、「独り言」という言葉はコラムなどによく使われているため、それについての心理学的見解を探すのは難しく、CiNiiの論文検索でさえなかなか良いものが見つからず。
仕方がないので、英語検索をかけたところ、いくつか発見。
同種の内容のものがいくつかあったので、以下に見やすかったものを掲載する。

World of Psychology
Talking to Yourself: A Sign of Sanity

タイトルにもあるが、独り言というのは気が確かであるというサインであり、単に寂しさを紛らわせるというだけでなく、様々な効用がある。例えば自己を肯定して精神的な安定をもたらす、発話する事で自らの動機づけを行う、情報を整理して考えをまとめるなど。

また、面白いと思ったのは、独り言を言う自分は異常なのかという質問をする人が散見された事だ。これには頻度が高い、シチュエーションを選ばない、大声で独り言を言ってしまうなども含まれていたが答えは一様にクレイジーな人間というわけではない、コントロール可能である、という事だった。

以上のように独り言とは極めて一般的なもので、言う意味もあるという事が理解できた。
と、言うかそもそも理解していない人間の方が少数派なのかも知れない。

何故私が一切独り言を言わないのかは不明であり、多少検索した程度ではそういう例については特に見つからなかった。そもそも独り言を言わない人間が少数派だとすると、本人も周囲も気づきにくいのかも知れない。

余談だが、私は独り言に限らず、周囲に人がいない時にはまったく感情的なリアクションを取らないようで、面白いと思ってコントなどを見ていても、近くに誰もいなければ無表情である。これは私がテレビを見ていたり、ゲームを遊んでいたりして奥さんの接近に気づかなかった時などに奥さんによって何度も観察されている。無表情でお笑い番組を見る様は非常に不気味だという感想であったが、私自身は省エネ派なのだと思っている。

当エントリにて独り言に関するアンケートを行ったところ、以下のような結果が得られた。細かい比率については母数が十分とは言えないが、独り言をまったく言わない人はどうやら少数派のようだ。

2013年5月16日木曜日

焼き肉を安く済ませるルール

焼き肉屋へ行ったらけっこう高くついてしまったという経験は誰しもあるだろう。
もちろん、それなりに値は張るけれどもおいしい肉を出す、という場合もあるが、そういう時に人は「高くついてしまった」とは思わないはずだ。

人は誰しも、期待に対してどれだけのものが返ってきたかによって物事を評価する。
つまり、「高くついてしまった」というのはそんなに高くなるとは思えなかった、もしくは払った分だけリターンがなかったという気持ちから来ている。

払ったほどおいしくなかった、というのはそもそもお店の問題だから仕方がないとして、焼く肉屋に行くとついつい頼みすぎてしまって、最後は満腹なのになんとか頑張って残った肉を片付けるはめになる、という経験をしたことはないだろうか?

私は焼き肉が高くつくのは、胃袋のキャパシティを越えて頼みすぎるのが原因ではないかと思っている。
これにはいくつか原因が考えられる。

1.ついつい定番を頼んでしまう
たいていの場合、カルビ、ハラミ、タンなど定番を頼む。そしてその後、追加していく。この構造は、全員の意思を統一しようとすると時間がかかるが、定番なら良いだろうという心理によって出来上がる。

2.逐次追加してしまう
焼き肉に行くと人は何故か、ずっと焼いていないと気が済まない。
居酒屋などだと、ある程度料理がなくなってから次を頼む。
しかし、焼き肉の場合ある程度焼いて皿が少なくなって来ると次を頼んでしまう。
これによって、総量がどのくらい頼まれているのか誰も把握していない状態が出来やすい。

3.満腹になるまでのタイムラグ
食事を始めてから満腹を感じ始めるまでに、通常20分程度の時間が必要。しかし、上記の逐次注文によって、これを感じ始めた時にはすでに頼みすぎてしまっている可能性がある。焼き肉の時はビールが進むので、食べて飲んで、アルコールで満腹中枢の働きが鈍くなり、より満腹を感じるまでの時間が延びてしまっている事も考えられる。

と、いうわけでこれらを打破するためのルールを考えたみた。
とは言え、厳格なルールを設けて安く済ませたとしても、せっかくの焼き肉の満足度が下がってしまっては元も子もない。
・シンプルである
・焼き肉の楽しみを阻害しない
この二つには留意したい。

こうして出来たルールは以下
1.一人一皿、自分がいちばん食べたいものを頼む
2.皿が空になったらそれぞれ次の一皿を頼む
3.全員追加を頼みたくなくなったら終了

まず、1のルールは最初の定番注文を回避するためにある。もちろん、定番を頼みたければ頼んで良い。被りが嫌なら違うものを頼めばいいし、たくさん食べたいなら同じ皿を頼めば良い。全員の意思を合わせる必要もないので、速やかに決定できる。
ルール2は逐次注文を防ぎ、総量を把握しやすくするのと、満腹感を感じ始めるまでの時間を稼ぐ効果がある。また、一度食べるのをやめる事になるので、注文してから出てくるまでの間会話を楽しめる。
ルール3は当然と言えば当然。実際このルールは何度も試行しているが、たいてい2周目を食べ終わったところで〆に入って終わる。3周目に入るとしても、全員が頼んだ例は皆無だ。

なお、このルールを作るきっかけとなったのは、だいたい5000円弱で収まるだろうと思った焼き肉会に割り勘で7000円近くかかってしまったという経験による。同じ店でこのルールでもう一度焼き肉会を試行した時は、3000円強で済んでしまった。
もちろん、メンバーや状態がまったく同じではないし、そもそもこの私の問題提起に賛同し、ルールに面白みを感じて集まったメンバーによるので効果が過剰に大きいとも言えるが、それでも倍以上というのは驚きだ。

とは言え、もっとも重要な点は、このルールが理屈通りに作用しているかどうか、ではない。もちろん上記の考察も、提案したルールもある程度の妥当性はあるはずだが、実は問題提起をした時点ですでにある程度の効果があり、さらに通常は行わないルール提案という手段を用いる事で、提起した問題はさらに強く定着しているのではないかと考えている。

なお、上記の内容は一度Facebookに投稿し、一定の反響があった。
投稿から10ヶ月ほど経過した今でも、このルールを使っている、効果があったという声が届くことがあるので、blog上にも投稿しておく。