2013年5月18日土曜日

独り言、言ってますか?

結婚して初めて知った事の一つに、「私は独り言を言わない」という事がある。
いや、正確に言うなら「独り言は特殊は癖ではなく極めて一般的なものだと奥さんは認識している」という事を初めて知った。

上記のように、私は一切独り言を言わない。
独りでいるときも言わないし、家でも会社でも、明確に誰かに何かを伝えたい時以外は特に発話しない。
なので、かなり長い間、私の周囲で独り言を言っている人は、不特定多数に対して意識的にメッセージを発しているのだと思っていた。
ちなみに私が過去に書いた脚本の中の登場人物は独り言を言うが、これはドラマ、映画、漫画、アニメなど創作物の中の登場人物が頻繁に独り言を話しており、主人公の心情を描写したり、間を保たせたりするのにたいへん便利な手法だと思っていたからで、経験に基づくものではなかった。
むしろ、周囲に誰もおらず、話しかける相手もいないのに発話をする人物は実際には稀だろう、という認識でいた。

しかし最近、会社でふとこの話題になり、何人かに聞いてみたところ、私を除いた全員が独り言を言うという事がわかった。日本人3名、アイスランド人、ドイツ人、フランス人という組み合わせなので、日本人特有の性質というわけでもなさそうだ。

続いてFacebookのグループでもアンケートを取ってみたところ、やはり大多数が独り言を言うとの回答だった。ただ、私の他にも1名、まったく独り言を言わないという方がいらっしゃって少々安心。

興味を持ったのでいろいろ調べてみようと思ったが、「独り言」という言葉はコラムなどによく使われているため、それについての心理学的見解を探すのは難しく、CiNiiの論文検索でさえなかなか良いものが見つからず。
仕方がないので、英語検索をかけたところ、いくつか発見。
同種の内容のものがいくつかあったので、以下に見やすかったものを掲載する。

World of Psychology
Talking to Yourself: A Sign of Sanity

タイトルにもあるが、独り言というのは気が確かであるというサインであり、単に寂しさを紛らわせるというだけでなく、様々な効用がある。例えば自己を肯定して精神的な安定をもたらす、発話する事で自らの動機づけを行う、情報を整理して考えをまとめるなど。

また、面白いと思ったのは、独り言を言う自分は異常なのかという質問をする人が散見された事だ。これには頻度が高い、シチュエーションを選ばない、大声で独り言を言ってしまうなども含まれていたが答えは一様にクレイジーな人間というわけではない、コントロール可能である、という事だった。

以上のように独り言とは極めて一般的なもので、言う意味もあるという事が理解できた。
と、言うかそもそも理解していない人間の方が少数派なのかも知れない。

何故私が一切独り言を言わないのかは不明であり、多少検索した程度ではそういう例については特に見つからなかった。そもそも独り言を言わない人間が少数派だとすると、本人も周囲も気づきにくいのかも知れない。

余談だが、私は独り言に限らず、周囲に人がいない時にはまったく感情的なリアクションを取らないようで、面白いと思ってコントなどを見ていても、近くに誰もいなければ無表情である。これは私がテレビを見ていたり、ゲームを遊んでいたりして奥さんの接近に気づかなかった時などに奥さんによって何度も観察されている。無表情でお笑い番組を見る様は非常に不気味だという感想であったが、私自身は省エネ派なのだと思っている。

当エントリにて独り言に関するアンケートを行ったところ、以下のような結果が得られた。細かい比率については母数が十分とは言えないが、独り言をまったく言わない人はどうやら少数派のようだ。

3 件のコメント:

  1. 周囲に人がいない時に感情的なリアクションを全くしない、というのに驚きました!リアクションは他者とのコミュニケーション手段と割り切っている(?)ということでしょうか…。自分の感情をある種の昇華させたりするためのリアクションという捉え方を私はしていましたが、昇華させる必要がないのはそれはそれでスゴイなぁ。

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    1. 特に考えて割り切っているつもりはないのですが、昔から習慣的にそうなっているようです。
      むしろ誰もいないところでも感情的なリアクションがある、というのが驚きでした!

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  2. それこそこのBLOGを読んでいても「なるほどね」とか「そりゃねぇわ」とか口についてしまうほどの独り言のベテランです。
    ゲーム的に言えばマジックサークルに入っているか否か、ということになるのかと。
    本(テキスト)や映画やTVなどを、現実同様に受け止め、コミュニケーションさえ取ろうとする(しかしリアクションがないので「独り言」になってしまう)人がいる、ということは、フィクションの製作者にとってある意味大前提なのではないかと。
    「作り事としての巧拙を見極めてやろう」という受け手ばかりではモチベーションもあがりませんから。

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