2013年6月4日火曜日

情報を拡散する前に考えたい3つの事

SNSを使い慣れた人間には今更、という内容ではあるが、定期的に同じ事をTwitterやFacebookに書いているのでここにまとめておく。
  1. その情報は確実に正しいか?

    情報の真偽を確認するのは手間がかかるし、難易度も高い。しかし、責任を持って情報を発信する人間は必ずどこから得た情報かを書くものだ。不明だとしたら、まずそれを探すべきだ。
    信頼できる友人知人からの情報だとしても、その人たちが勘違いしていたり、騙されていたりという事もある。ソースは示されているが、実はそこにそんな事は書いていないというケースも頻発している。英語その他の外国語サイトがソースだと、誤訳や勘違い、故意の捏造なども起こりやすい。
    ここまで読んでいちいちそんな事はやっていられないと思うかも知れないが同感だ。そういう時には、わざわざ真偽わ追うのをやめる代わりに、むやみとそれをRTしたりシェアしたりしない、という誰でもできる簡単な選択肢があるのでそれは憶えておきたい。

  2. 誰のためにその情報を広めるか?

    情報の価値というのは人それぞれだが、反射的にシェアやRTをする前に何のためにそれをするのか考えた方が良い。インパクトのある情報を他人と共有したいという欲求は本能的なものかも知れないが、広めた結果どうなるか、という事も考えよう。
    例えば誰かが不愉快な目にあった、というTweetがあったとする。友人ならそれに声をかけてあげたいと思うのはごく自然な事だ。
    しかし、それを広める事にどれだけ意味があるだろうか?
    人間は共感する生き物なので、友人が不愉快な気持ちを表明すると、自分も不愉快な気分になる。時に悲しんだり、怒ったりするだろう。それをRTしたりシェアしたりすると、今度はそれを見ている人が同じ気分になる。マイナス感情の再生産である。
    そこにはエネルギー保存の法則が存在しないので、場合によっては際限なく広がっていく。
    さらに不愉快な目に合わせた人間が例えば公務員やマスコミなど叩かれやすい職業の場合、こういった話は広まりやすい。不愉快感情が再生産され、その怒りが行政や企業に向き、特定の企業や有名人が叩かれるという構図はよく見る事だ。しかし、そんな事をしても我々の生活や社会が良くなる事は非常に稀で、感情分のエネルギーが失われていくだけだ。
    さらに言うなら、匿名の人間の主観的な発言を以って特定の個人や組織の非を決めて叩くというのはいかにも一方的な話だ。不愉快な目にあった本人やその周辺の誰かがどうしても相手を許せないのならば、直接相手や組織に抗議をした方が余程有用だ。また、この問題は1とも絡んでくる。

  3. 自分が責任を持ってその情報を再発信しているか?

    シェアやRTをするというのは、自分で一度受け止めた情報を再発信するという行為であるという事は意識しておきたい。
    受け手は、誰が再発信したかというバイアスで情報を受け取る。受けた方から見れば、その情報は発信者のものであると同時に仲介者のものでもあるのだ。人間誰しも勘違いや間違いはあるが、あまりに軽々しく誤情報やどうでも良い事を再発信していると、本人の信用もなくなっていく。
シェアやRTによる情報の共有、再発信は手軽かも知れないが、そこで得られるものが大きくない割に、リスクは発言するのとあまり変わらない。

最初の項でも書いたように、真偽不明な情報を再発信しない、というのは誰にでも出来る非常に簡単な事なので、それだけは憶えておきたい。

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