2013年6月10日月曜日

科学を伝えるメディアとは?

SNS上で度々指摘されているが、研究発表した結果というのは度々Web記事などのネタになるものの、正しく内容が伝えられている事は少ない。
例えばこんな具合だ。

これは日本語の記事

記憶のコピーが可能になる!?記憶が保存されたマイクロチップを脳に埋め込むことで記憶を保つ技術を開発中!!2年後には人間に移植へ!!


タイトルだけでも昔から繰り返しSFなどで語られてきた人間の電脳化について、大きな前進があったように読めるし、文中でも様々な可能性について触れられている。
しかし、このソースはこちら

The micro chip that will save your memory: Scientists set to implant device to preserve experiences into BRAINS

こちらを読むと、現状はラットや猿の脳の電気信号の一部をデジタルデバイスによって置き換えるという実験をしているのみで、記憶のコピーというのはあくまで将来的な展望として語られている。裏を返せば、現状のままでは損傷した脳の代わりにデジタルデバイスを埋め込んで機能を代替させる事は出来ても脳の損傷による記憶の回復は出来ないという問題は未解決である、と言える。

脳については、こういった希望的な話が非常に出回り易い。脳科学はコンピューターの演算能力の向上や脳機能を計測する様々な装置の発達によって近年様々な進歩を遂げてはいるが、人々の生活を変えられるほど身近なところには来ていないからかも知れない。

脳神経科学などに限らず、記事としては面白い、興味深いがその道の専門家から見ると現状を正しく伝えていない、著しい誤解を与えると思える記事はいくらでも存在する。私も例えばバーチャルリアリティや拡張現実感(Augmented Reality)、ゲーム関連(とりわけいわゆるゲーミフィケーションについて)の記事を読んだときに違和感を感じる事は非常に多い。

先日も、最先端の研究者が数理について語るという番組の公開収録を見に行ったのだが、番組制作者側が自分たちが考えている理系という枠に話を押し込めようとする意図があまりに強く、ゲストの話に興味を持って来ていた多くの観覧者が殺気立つのすら感じてしまった。

もちろん、科学記事やテレビ番組にも良いものはいくらでもある。しかし、面白くしよう、わかりやすくしようと考えるあまり、取材される側が伝えたい内容とかけはなれてしまうという事は起こりえる。特に研究者、科学者という職業の人間は、創作物の中に登場する多くのキャラクターと違い、断定的な物の言い方はしないし、話の内容が成り立つ前提条件や、不確定な要素に関しても可能な限り正確に語りたがるものだ。
また、自分の専門分野外のものや、語るための情報が足りないものに関しては例え一般論として何かを話す事が出来ても可能な限り沈黙する。
はっきり、短く、わかりやすく伝えたいテレビや雑誌、新聞などのメディアと研究者というのは相反する存在なのかも知れない。

もちろん、私のようにblogを書いたりする人間もいれば、ラジオ番組をやってみたり、TwitterやFacebookなどを通じて情報発信を行っている研究者もいる。
しかし、そうやって分散してしまうと、拾う側の労力も並大抵の事ではない。
また、科学雑誌や科学blogというのは、元々興味があって熱心な読者が読むので、テレビのようになんとなく多くの人が面白そうと思って視聴する、というものにはまったくかなわない。

そんな事を考えてみると、改めてニコニコ学会βの存在が面白いと思えた。
ニコニコ学会βは学会というものの堅苦しいイメージを打破し、ユーザー参加型の研究の場を作り上げるという目的で開催されている学会だ。その名の通り、ニコニコ動画のようなカオスな様相を呈し、その内容はニコニコ生放送などを通じて視聴する事が出来る。
目的などに関してはこちらを読んで欲しいのだが、ここに書かれているようにニコニコ学会βは別に科学コミュニケーションや科学リテラシーの向上を目的として作られているわけではない。しかし、この「楽しそう」という感覚は旧来の学会という枠を越えて遙かに多くの人にリーチし、学問に対して興味を持ってもらえるはずだ。
ニコニコ学会βについてもっとよく知りたい方にはこちらの書籍をおすすめしておく。

進化するアカデミア

進化するアカデミア
人はコンテンツのあるところに集まる、というのは明らかで、誰かがメディアを通じて発信したものに対して、それは正しくない、正確ではないと言い続けても、そこに共感してくれる人の大半はもともと同じ考えを持っているだろう。

私はよく、上記のように曖昧な情報に対して補足をしたり、間違っているのではないかと思える情報を正したりといった事をやっているが、そこに義務感や正義感があるわけではない。単純に自分自身そういった細かい事が気になるし、気になったところを掘り下げていって間違っている、曖昧である、あるいは正しいという事を確認していくという行為そのものを楽しんでいる。

私に限らず、そうした性質を持った(ちょっと変わった)人間が研究者という職業に就くのかも知れないが、もしそれが誰にでも簡単にできたり、もしくは集団で互いに知識や知恵を補完しあって出来るならば、もっと多くの人がそういった事をするようになり、広がっていくかも知れない。

科学を正しく伝える、似非科学やデマを打破するというような活動はWeb上でもオフでも、多様に存在し、多くの人が関わっている。それは日本の科学教育を根本から見直そうというものもあれば、草の根で活動を続けるものもある。と学会などもその一つと言える。

ただし、「面白い」と言っても方向性はいろいろあるので注意しなければならない。間違ったものや誤解されそうなものをあげつらい、笑い者にするいわゆる晒しのような方向も人間は楽しめる。しかし、そうやって攻撃的になってしまうと、互いに不毛な議論を繰り返すばかりになりかねない。
だからこそ軽々しく、そう簡単に「こうすれば良い」という結論が今ここで出せるわけではないのだが、やはり自分でもいろいろと考えてはおきたい。
ニコニコ学会βはそのために、大きなヒントをくれている。

読んだ人間それぞれが、ただコンテンツを楽しむだけでなく、自分も深く調べようと考え、それを楽しめるようなメディアを作る事が出来ればきっと大きな貢献になるはずだ。

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